『野火』

『野火』監督:塚本晋也 出演:塚本晋也,リリー・フランキー,中村達也,森優作

 

 

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映画「野火 Fires on the Plain」オフィシャルサイト 塚本晋也監督作品

 

現実に起きる悲劇というのはフィクションの中のそれより圧倒的に残酷だ。後者には予兆があったりドラマが付きまとうことがしばしばあるが、前者においてそれはあまりにも唐突で、無慈悲で、不条理だ。

『野火』は戦争映画だが、これまで数多世に出てきた戦争映画たちとはかなり異なる点が多いように思える。僕は戦争映画や戦争を題材にした表現に明るいほうではないが、それでもなんとなくわかってしまう。仰々しい言い方になってしまうが、これはもはや映画の形をとった戦争そのものではないのだろうかといったような錯覚に陥ってしまいそうになるほどだ。まず、そこにはドラマがない。あるのは不条理と、終わりのない絶望だけ。舞台となっている東南アジアの鮮やかな自然の色彩とは対照的に、あまりにも当然のように連続して繰り広げられる残虐な光景を伴った悲劇たちは、もはやそれが本当に悲劇であるのかということすらわからなくなってしまうほどに僕たちの感覚を麻痺させる。

 2015年、この国は第二次世界大戦終戦70周年を迎えた。それ以降から今日に至るまでも愚かにも戦を起こしてきた他の多くの国と違い、この国におけるその年数が持つ意味はとてつもなく重い。そして、あと数十年もすれば(もしそれまでに戦争に参加するような羽目にならなければの話だが)この国から戦争の実体験を持つ証言者は一人残らず消え失せてしまうだろう。

そのような証言者がいなくなってしまえば戦争の恐怖を次の世代に伝えることはできないのかといえば、そうではない。アメリカにかつて存在した黒人奴隷制度を例にとってみれば、もう100うん年前に完全に廃止されてしまっているにもかかわらず、毎年のように同制度を題材にした映画というのは公開され続けているし、それらの決して少なくはない数の作品たちが日本でも公開されているはずだ。アメリカはいまでも戦争を続けているが、そういうようなかつて自分たちが犯した過ちを間違いであると認めて省みる姿勢は、都合の悪いことを水に流しがちなこの国の国民も見習うべきであろう。

『野火』は監督塚本晋也というネームバリューを持ちながらもスポンサーを付けずにすべて自主制作で撮影された作品だ。劇中に登場する小道具は基本的に手作りで、戦車などに至っては段ボールからできているという。製作陣の努力に感服する前に、この作品がなぜそこまで資金面で余裕のない状況を強いられたのか、どうしてシネコンなどで大々的に全国公開されずミニシアター等での小規模公開に踏みとどまってしまったのか、疑問に思わなけらばならない。これが日本映画界の実情なのだとしたら、どうだろう。これほどまでに強力な戦争の証言としての力を持った作品が広く世に出なくてどうするのだろうか。だから、ぜひ僕と近い世代の人々、特に学生には劇場で『野火』を観てほしい。僕たちの世代こそが、この映画(これに限ることはなく様々な表現に触れることの方がもちろん好ましいはずだけど)を観て、新たな時代の証言者となることが求められているはずだから。

僕としては、この映画を観てはっきりとした感想を抱く必要はないと思う。ただ、この映画には、一度観てしまえば心に決して離れていかないような何かを残す力が絶対にある。そしてその心に残った何かを、周囲の近しい人間に伝えてゆくことが重要ではないのだろうか。これは4年前の東日本大震災が起こったときにも強く感じたこと。多くの有識者やそうでない人々がこの国がなんとなく戦争に近づいていると感じている今日に至っては、もはやそこに責任感を感じる必要性がないなんていう呑気なことは言っていられない。

 

『野火』は渋谷ユーロスペースにて上映中(9月18日まで)

その他の上映情報

劇場情報 | 映画「野火 Fires on the Plain」オフィシャルサイト 2015年7月25日(土) 東京・渋谷ユーロスペースほか全国公開。